任侠映画や時代劇では血しぶきが流れ出ますが、そのような話ではありません。
人は不意に問いを立てられたその瞬間、日常的に思考していることが思わず溢れ出ます。
普段からどのような視座で物事を何を考えているか。
何に意識を向けているか。
不意の一撃は、それを明らかにします。
切られた瞬間にこぼれ落ちるものにこそ、その人の真実が宿っています。
任侠映画や時代劇では血しぶきが流れ出ますが、そのような話ではありません。
人は不意に問いを立てられたその瞬間、日常的に思考していることが思わず溢れ出ます。
普段からどのような視座で物事を何を考えているか。
何に意識を向けているか。
不意の一撃は、それを明らかにします。
切られた瞬間にこぼれ落ちるものにこそ、その人の真実が宿っています。
数年前にインタビューさせていただいた経営者の言葉です。
そこから得られた学びは、時代がどれだけ変わろうとも、私の大切な思想の軸となっています。
外資系トップ戦略ファームから、NPOの立ち上げへ。
「どうしてそのような選択をされたのですか?」という私の問いに対し、その方は黒澤明監督の映画「生きる」の話をしてくださいました。
余命わずかな公務員の主人公が、役所の縦割りを乗り越え、命を削って公園を作り上げる。
しかし、その手柄はすべて上司に横取りされてしまう。
それでも彼は絶命する間際、自分が作った公園のブランコに揺られながら、鼻歌を歌い心から幸せそうだった。
「自分の人生が幸せかどうかは、自分が決める。
他人からどう評価されるかではなく、自分がどう思うかです」
エグゼクティブサーチの現場にいると、常に「市場価値」という言葉がついて回ります。
しかしそれは、他者が定めた需要と供給というルールのなかで、いくらの値がつくかという「外側の物差し」にしか過ぎません。
報酬という「一つの軸」だけでキャリアを測ってしまうと、上記のような尊い選択を「非合理」の一言で片付けてしまうことになってしまいます。
何を、誰と、どう生きるのか。
自分の人生の手綱を、自分で握りしめている人。
そんな意思を持ったプロフェッショナルを、私は全力で応援していきたいと思っています。
プライム上場企業のエグゼクティブにそう言われた瞬間にハッとしました。
失敗が本当に学びへ昇華するのは、綿密な仮説と計画があったときだけ。仮説と計画という「軸」があるからこそ、どこで想定外のズレが生じたのかを正確に検証できるということです。
計画もなく、「こうなったらいいな」という願望だけで動いた結果の失敗はどれだけ頑張ったとしても残念ながら学びへ昇華しない。
「失敗も学びだ」、「良い経験になった」という言葉が、仮説の甘さを庇う自分への言い訳になっていないか
あらためて問い続けなければと感じた次第です。
そして、更にもう一段深い示唆がありました。
時代の変化速度が急速に速くなる今、計画段階の仮説が時間とともに前提ごと変わることが多くなっています。だからといって、仮説や計画を立てなくていいということにはなりません。
これからの時代に強く問われるのは、精度の高い仮説を立てる力そのものに加え、状況に応じてその仮説を疑い、見直すことができる力であると。
ただし「すぐに諦める」ことと、「柔軟に変更する」こととは全く異なります。意志を持ってやり切る局面なのか、それとも撤退ラインを引き、前提から手放すべき局面なのか。この境界線を「見極める力」こそが、実は最も価値のある学びなのだと思います。
強烈な願望と、綿密な仮説と計画。
そして、執念と撤退の間にある「見極め」。
この3つを握りしめて踏み出すからこそ、失敗という想定外が初めて「次の成功を手繰り寄せる手がかり」になる。
それこそが、「失敗が学びになる」ことの本質だと感じています。
ズンと心にきた外資系エグゼクティブの言葉です。
8割が賛成する施策で仮に失敗しても周囲と傷を舐め合うことができる一方で、8割が反対する施策で失敗したとき、受ける返り血は100%自分ひとりに降りかかってきます。
それでもやり遂げたい、
という意思は本物か?
この問いを自分に立て続けるということが、エグゼクティブという立場の覚悟なのだと感じています。
先日の外資系エグゼクティブとの会食での一幕です。
「これからの時代において、持続的に成長する人材をどう見極めていますか?」という問いに対する応えは、極めてシンプルでした。
過去の実績や、今持っている知識の賞味期限が一瞬で切れる不確実な時代においては、状況がどれだけ激変しようと自らを突き動かし、自走し続けられる原動力は「強烈な内発的動機」です、と。
そしてそこに付け加えられた言葉に、マネジメントの忘れてはならない要諦が詰まっていました。
「一方で、どれだけ強い動機を持った人材を見極め採用できたとしても、その動機を活かすマネジメントと組み合わせなければダメでしょうね」
多くの企業が、採用時の「見極め」に心血を注ぐ一方で、いざ組織に迎え入れた途端、既存のルールや硬直した管理体制によって、その目の輝きを濁らせてしまうケースをたしかに何度も見てきました。
冒頭の「どう見極めますか?」との問いが既に危ういですが、あらためて見極めそのものはゴールではない。
見極めの観点と、受け入れ側のマネジメント思想が一気通貫してこそ、人の成長は実現される。
目の輝きを濁らせる現実は、見極めの後にも起きています。
ライブハウス、スポーツ観戦、フェス、お祭り。どれも楽しいですね。
20代の頃はK-1観戦によく足を運びましたし、ライブもお神輿も大好きでした。
オンラインでいくらでも高画質な映像を楽しめる時代に、なぜ人はわざわざ時間とコストをかけてまで「リアルな場」に足を運ぶのか。アーティストをリアルで見たいだけでなく、パブリックビューイングにすら人が密集する理由は何なのかをふと考えていました。
結論は、自分の内から湧き出る楽しい、嬉しい、感動といった「感情」を、周囲と共鳴させることで「増幅させたい」という、人間の根源的な欲求にあるのではないか、と。
他者の熱量を浴びることで、一人では行き着けない境地に至る。
これは現代の組織マネジメント、特に「出社回帰」の議論においても全く同じことが言えると感じています。
組織が用意すべきリアルな場とは、単に業務をこなす座席と空間ではなく、メンバーの熱量や感情を互いに感じ合い、増幅させるための「スタジアム」のような機能。出社を選択するなら、そこまで突き詰める必要があるのだと思います。
実際、ある企業にこの観点で非常に面白い仕掛けがありました。
その企業では、社員の荷物置き場を、意志をもって「ロッカールーム」とネーミングされています。
選手たちがユニフォームに着替えて集中力を高め、互いを鼓舞してチームの心を一つにする、あの空間ですね。朝出社したらロッカールームに入り、戦うモードに切り替える。単なる物理的な空間を意味付けによって「熱量を増幅させる仕掛け」に変えている例です。
メンバーの熱量を増幅させる仕掛け。意識的にデザインできているかどうか。それだけでチームの景色は変わる気がしています。
激変する時代においても、キャリアの主導権をその手に握りダイナミックに動くエグゼクティブは、一体どのような考え方をしているのか。
20年以上、数多くの優秀なビジネスパーソンの意思決定を傍で見ていて、共通事項として感じることがあります。それは、彼らがキャリアに対して「両にらみ」のスタンスを持っている、ということです。
1つ目は、自分の意志からの「逆算思考」
目指す姿(経営者や事業責任者など)に対して、今の自分に足りないピース(経験や実績)は何であるか。それを現在の環境で得られたのか、あるいは得られないと見限ったのか。「年次」や「役割」、またはどこかの誰かが言う「転職すべきタイミング」といった他人任せな基準ではなく、自分自身の意志と軸でタイムラインをコントロールするスタンスです。
2つ目は、エフェクチュエーション的な「偶然思考」
サラス・サラスバシー教授が提唱するエフェクチュエーション(起業家理論)でいう「レモネードの原則(予期せぬ偶然を機会に変える)」に近い柔軟さです。自らの意志と軸を大事にしつつも、そのロードマップに固執しすぎない。自身の心が躍るような出会い、自分の知見が予想外の形で活かせそうな偶然の機会に対して、常にアンテナを研ぎ澄ます。
直感的に「面白そうだ」と感じた偶然の波に、清々しいまでに(そのポスト捨てるんですか!と驚かされることもあります笑)しなやかに飛び移ることで、当初の想像を超えた面白い道が開けることを経験的に知っているかのように。先行きが不透明な状況で成功する起業家に共通する意思決定理論をご自身のキャリアにおいて実践しているのだと感じます。
主旋律(コード)がありつつも、その場に起きる即興(アドリブ)を愉しみながら道を拓く。さながらジャズセッションのような。
この「軸と余白」の両にらみのバランスこそが、自分という唯一無二のキャリア=轍(わだち)を創り、そこにしかない旋律を奏であげる要諦です。
長年お付き合いのある経営者の方との会食での会話からいただいた学びです。
「1on1の時間、どう定義していますか?」
この問いに対してその方はサッカーに例えて仰られました。
多くの現場では、1on1があたかも試合中の「タイムアウト」の時間になってしまっているように感じています。その意識だと、話題はどうしても「今起きている問題は何か」「次はどう動くのか」といった、その場の対処、火消しに終始します。
「タイムアウト」では、目先の答えしか出てきません。「試合と試合の間の対話」があって初めて、未来へのナラティブは生まれます。
本来の1on1は、試合と試合の間の日に行う「大局観をもった振り返りの時間」と定義されるべきではないかと思っています。
あの時、フィールドで何が起きていたのか。自分の感情はそこでどう動いたのか。これからの試合ではどんな物語を描きたいのか。
貴方の組織の1on1は、火を消すための時間なのか、それとも未来に火を灯すための時間なのか。
時間の使い方は、組織の哲学の現れともいえます。「定義」によってアウトプットは変わる。深く考えさせられる問いでした。
現在外資系大手でご活躍されているエグゼクティブとのランチセッションでのお話です。
半年ほど前、実はものすごく煮詰まっていらっしゃったとのこと。当時、期待される役割に対して、ご自身の持つ能力や資質がどうしても上手くはまりきれない、なかなかしんどい状態であったと。
「どのようにしてその状態を抜けたのですか?」との問いに対する応えは、非常にシンプルでした。
「学びですね」と。
役割と能力がはまりきらない硬直状態を打破し、しなやかさを取り戻させてくれたのは、ラーニングのプロセスだったとのことでした。たとえ仕事に直結するものでなかったとしても、「新しいことを学ぶ」という行為そのものを経て、人は自分の固さをほぐし柔軟性を取り戻すことができるのだと。
ラーニングとは、知識を増やす作業でありながら、本質的には固まった自分に心地よい「余白と揺らぎ」をもたらし、しなやかさを取り戻すための営みなのだと思います。
固くなったときこそ、学ぶ。大事ですね。
事業が躍進するような幹部採用が実現できたとき、経営者がそう言って微笑む姿を見るのは最高に嬉しい瞬間です。
しかし、私の関心が向くのは「出会い」とは別の観点です。
それは、その方の熱源を迎え入れるだけの「器」と「覚悟」が組織の側に準備できていた、という点。
採用の成否は、出会いだけでは決まりません。
器とは、任せる意思。覚悟とは、衝突を許容する意思です。
あるエグゼクティブの言葉です。その頼みとは、極めて多忙な方にとって一見非合理なものであるにもかかわらず。
人と人との間にある、このロジックを超えた「非合理」を包含する関係性。論理的な最適解がいくらでも手に入る時代だからこそ、問われるのは「生身の人間として、どれだけ損得を超えた信頼を積み上げられているか」なのだと感じます。
正しいから行動する、を超えて。「あの人が言うなら」と、心を伴って身体が動く。
そういう関係性こそが、これからの最大の資産だと思っています。
関心のない100人に必要とされるより、意中のたった1人に必要とされる方がいい。これは恋愛もキャリアも同じだと思っています。
「市場価値の高さ」というと、多くの企業から引き合いがある状態のことだと言う人がいます。でも、やりたくない仕事の依頼がたとえ100件来ても、それは幸せなのかという話です。
需要があることと、燃えることとは、全く別の話なはず。
20年、数千人のエグゼクティブと対話してきて確信していること。それは、本当に輝いている方は「依頼が来るから引き受ける」でも、「依頼がたくさんくるから安心だ」でもなく「自分の熱源が昂るミッションに向かい続けた結果、意中の出会いが来るようになった」という順ということでした。
市場価値の定義を、他者の評価から始めるか、自分の熱源から始めるか。この認識の順が、キャリアの充実度を決める気がしています。
日系超大手企業の執行役員として、数々の投資先経営者を歴任された方との対話で印象的だったのがこの言葉です。内示を受ける際、常に決まり文句としてかけられたとのこと。
どれだけ不透明な状況であっても、困難そのものを楽しむ。正解のない問いを、自らの意志でポジティブに立て続けていく経営者としてのOS。
そして、
「自分が一番大切にしていたのは、社員の顔をいかに上げさせるかだけです」
笑いながらそうも仰っていましたが、その情景が目に浮かぶようでした。
経営の担い様とは、数値を管理すること以上に、どんな逆風にあっても、関わる人たちの視線を「未来」へと向けさせる物語を紡ぐこと。
その覚悟が、本物の「器」なのだと思っています。
以前参加した講演会でのことです。
登壇者は、自ら国を動かし、事業を成功に導いた上場ベンチャーの経営者の方でした。講演後半の質疑応答にて、ある大企業の経営企画室の方が手を挙げられました。
「非常に感銘を受けました。ぜひ我が社の役員陣にも聞かせたい。今度、講演に来ていただけませんか?」
勇気を持って発せられたであろうその願いに対し、経営者の回答はまさかの一喝でした。
「あなたが来てください。その聞かせたいという役員を連れて」
「そういう”お願い”をして、待ちの姿勢でいるから何も変えられないんです。本気で社会を変えたいと思うなら、役員くらい自分で動かしなさい」
会場の空気が、一瞬で変わったのを覚えています。
大きな組織の中にいると、知らず知らずのうちに「少し動いてあとは誰かが変えてくれるのを待つ」という物語に染まっていくことがあります。「役員が理解してくれれば」「会社が変わってくれれば」と。
自分の物語の主導権を、自分以外の誰かに預けてはいないか。
自らが社会を動かす、自らが組織を変える。本物の経営者が必ず備えているこのマインドは、「この物語の主人公(当事者)は自分である」という強烈な覚悟です。
待ちの姿勢を捨てた瞬間に、見える景色は一変します。
エグゼクティブエージェントとして候補者の方と向き合うなかで、最初に「まずこのポジション、報酬はいくらですか?」という問いを立てる方がいます。
もちろん、報酬は大切です。成果に対して正当な対価を求めることは、プロとして至極当然のことです。
一方、20年にわたりエグゼクティブと対話してきた経験から、確信していることが一つ。最初にこの問いを立てた方が、入社後の苦難のなかで歯を食いしばり、その力を発揮しているケースは決して多くないということです。まさに報酬を「第一の理由」として動いた方は、期待と現実がずれた瞬間に去っていきます。
条件で来た人は、条件で去る。
しかし、「この経営者と、この課題に人生の時間を賭けて向き合いたい」、という自身の「熱源」から動いた方は様子が異なります。想定外の理不尽や苦難に直面してもなお、組織の中で強く燃え続けています。
エグゼクティブ、とくにCXOという経営幹部ポジションは、ただ高額な報酬を狙いにいくためのポストではないと思っています。いうなるば己の人生の熱源を、燃やし尽くすための場所なのだと。
そう考えられる方こそが立ち、輝ける場所なのだと考えています。